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Koichiro Yamamoto

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のぼりとのうわさ

商店街から生田緑地まで、いろんなお店をうわさする「ふきだし」が出現。

店長さんの人柄やちょっとプライベートなこと、ププっと笑ってしまうもの、親近感を感じさせてくれるものなど、何度もお店に通ってヒアリングした完全ノンフィクション。
電車通勤中の大人たちも目を覚ます巨大看板と巨大たれ幕には、まちのうわさも。

地域の中で、多くの人たちがふれあい、まちが元気に、そして大人もこどもも愛着を持てるようなまちになる「きっかけ」を作り出すことを目的として、このプロジェクトは行われた。

お店ごとにヒアリングした、店主さんや店員さんが、最近うれしかったことや、ちょっとした自慢、趣味や悩みなど、日常のできごとを「ふきだし」型のプレートに印刷し、店頭に貼る。

ここの店長は、ゴルフがめちゃめちゃ上手いらしい
バイトの○○さんは、最近少し痩せたらしい
ここの店長は新婚さんらしい など

自分では恥ずかしくて言えないけど、でもそんなちょっとした自慢やみんなに知って欲しいことは、誰もが持っているはず。
子どもの自慢は誰でもしたいことのひとつ。
このような内容を、日常会話の中から引き出し、こちらでそれをうわさ言葉に直す。

まちは、みんなの「うわさ」で色とりどりに飾られ、同時期開催予定の地元夏祭りを演出する。通りすがりの人たちは、その「うわさ」を見て、今まで以上にお店に対して親近感や好奇心を持つようになる。また、そこから会話が生まれたり、お付き合いが始まったり、よりいっそうに関係を深めるきっかけになる。

数字にはっきり効果が現われることはないかもしれないが、そのときの印象は、一生こころの中に焼き付き、「またあそこに行ってみよう」とか、「あそこの息子さん大きくなったかしら」などと思うことだろう。
変に宣伝をするよりも、効果は大きいかもしれない。

店頭に貼られ、多くの人に注目を浴びたフキダシは、作品ではない。通勤中のひとびとを電車の中から驚かせた巨大フキダシ型看板も、ビル壁面に設置された垂れ幕も、作品ではない。ただの貼り紙、看板、そして垂れ幕である。

「これがアートなのか?」と多くの人たちが感じた理由はそこにある。もう一度言おう。これは作品ではない。しかし、アートである。しかも、まっとうなアートなのである。

美しい絵を考えてみよう。この上なく美しい絵画を見たとき、ひとびとは感動する。その絵の前から離れられなくなるほど魅せられ、心を揺さぶられる。アートが担う役割、あるいは機能のひとつとして、心を動かす、ということがあげられる。歴史的にもそうである。では、なぜ「のぼりとのうわさ」プロジェクトがアートなのか。その答えは心の中にある。

「私のこと書かれちゃって照れるわよー、でもちょっと嬉しいわ」 そんな気持ち。

「へぇ、ここの店長さんってそーなんだー。「楽しそうなお店だねー」 グッと親近感が芽生える。そんな気持ち。

それぞれの心の中でポツポツと、静かに何かが生まれているのである。

フキダシは仮の姿。しかし、美しい絵画を見たときの感動と、心が動くという意味ではあまり変わりはない。むしろ、もっと印象深く、記憶に残る体験かもしれない。

「ひとごと」から「自分ごと」へ。

市民個人のことをアート行為の中にダイレクトに盛り込み、市民もこのプロジェクトに関わっているという感覚を少しでも持ってもらう。そして、「ひとごと」が「自分ごと」に変化し、こころの扉を開くきっかけになる。そんな仕掛けを作ることは楽しい。

そこから会話が生まれたり、お付き合いを始めたり、よりいっそう関係を深めることになったりするのは、もっと楽しい。

ひとりひとりのほんの小さな気持ちの変化が、家族の変化、まちの変化、社会の変化、そして世界の変化へと発展するのは、ものすごく楽しい。

そして、ボクの行為がそのきっかけになれば、サイコーにうれしい。それがアートであろうと、なかろうと。

koichiro yamamoto 2007