まちのウワサを流す「のぼりとのうわさ」プロジェクトの姉妹企画として、子供たちのひみつの場所や自分のお気に入りの場所を、絵とことばでうちわに描く。まちのことを見ているようで見ていない大人たち、知っているようで全く知らない大人たちに、このまちの面白いところをこっそり教えてあげようという企画。
アートと街、そしてこのまちの未来を背負う子供たちが密接に関係する企画に共感し、図工の授業の中で実施させてくださった登戸小学校の全面協力のもと、実現したプロジェクト。
登戸小学校全児童が描いた800枚のウチワが、地元民家園通りの夏祭りの夜、突如として路上に現れ、祭り客は、気に入ったうちわがあればもらえてしまう。うちわをもらってくれた人は、もらったうちわと一緒に記念撮影。またお礼として、描いてくれた児童たちに宛ててメッセージを残す。記念写真とメッセージはまちに展示された後、小学校にプレゼントされるという仕組み。
会ったこともない人との、心のコミュニケーションが生まれる。
授業は1日4時間、4クラス。これを6日間。
家から持ってきてもらったうちわに、白い紙を貼って、うちわ型に切る作業から。
完成したうちわは、夏祭りで路上に展示され、プレゼントされることを知らせるため、保護者向けの資料も配布。是が非でも、見に来て欲しい。
いよいよ夏祭り本番。800枚全てのウチワを、格子状に積んだ段ボールに展示する。
突如として現れた展覧会場。一気に800枚も見せられ、目移りして、選ぶのに苦労している方も多い。
かしこまったアート作品を、四角いスペースで見ることには抵抗があっても、子供たちの元気な絵を屋外で見ることは、気楽に親しみを持って楽しんでいる。
気に入ったうちわが決まったら、それを手に持って記念撮影し、そのうちわを作ってくれた子供に送るメッセージを書いてもらう。
それもこれも、コミュニケーションのため。作った子供と、それを所有する人。この関係を深く、心に残るような形にしたい。
間接的にではあるが、自分の作ったうちわをもらってくれたひとの顔が見える。うちわをもらった人は、どんな子が作ったんだろう。女の子かな?男の子かな?そんなことを考えながら、コメントを書く。
知らない人と知らない人が、一度も会ってないのに、すごく親しくなった感じ。これぞ出会い「景」。
考えてみれば、画廊でアート作品が売れたとしても、買った人に会うこともなければ、話をすることもほとんどない。それがここにはある。
祭りで残ったうちわ約400枚と、みんなに書いてもらったコメントと、記念写真を予定通り、地元の金融機関に展示する。
川崎信用金庫、三菱東京UFJ銀行、そして三菱UFJつばさ証券、いずれも元市民との関わりをより深く、そして市民の生活に何か貢献したいと常々願っている非常に協力的な店舗。外から中が見えなくなるくらいに、たくさんのうちわとコメントや写真を展示させていただいた。
金融機関に展示したコメントと写真を小学校にプレゼント! A1用紙に12枚。
手元に残ったうちわは、ノボリト・アート・ストリートの記録集完成後、それに付録として付けて配ることにした。
これでやっと、このプロジェクトは完了する。
アートプロジェクトにおいて、いろいろな人たちをどんどん巻き込んでいくことは、社会に新たな関係を生み出すきっかけになる。
もともと、アートという訳のわからない(とされている)ものを、もっと身近に感じてもらいたい、という気持ちから、このようなスタイルを取るようになったのだが、そもそもアートなんてわからないものなのである。ボクにもわからないから、いまだにやっているという部分も少なくない。
おそらく、「わかっていること」とは、世の中のあらゆるものごとが、他人ごとか、それとも自分ごとか、という価値基準でまわっている、ということだろう。
ある事件や出来事が、自分に関わることであるとき、即座にひとはリアリティを感じるが、そうでないものには感じない。つまり他人ごと。たくさんの人を巻き込むことは、このアートプロジェクトを自分ごととして感じてもらう入口なのである。
そして、今回作り上げた仕組みは、その入口が何方向にも向けられている。
まず、小学校。児童、その両親、祖父母、親戚、友人。次にまちのひと、通行人、旅行者、その他。
どこからでも入ってくることが出来るのである。そして、発信する者と受信する者の関係が逆転し、方向が往復する仕掛けにもなっている。
押しかけ授業を企む者から、小学校へ、児童からまちへ、そしてまちから人へ。次にこの逆の流れが、記念撮影とコメントを取る行為によって始まる。発信者が受信者になり、受信者が発信者となる、コミュニケーション上のサイクルとでも言おうか。
このサイクルによって、どんどん知らなかった人たちがつながっていく。新たな関係が生まれる。そして、その新たな関係の下、心の中に今までにはなかった何かが生まれるのである。
アート作品、もしくはアーティスト(児童もまちのひとも皆ここではアーティストである)とアート鑑賞者の関係における空白は、ここにはない。祭りの夜、全く新しい形の出会い「景」を見た思いがしたのは、そのためかもしれない。
何はともあれ、子供たちのパワーはスゴイ!大人たちに気付きを促し、当たり前だと思っている日常をキラキラと輝かせる。
koichiro yamamoto 2007
more photoのぼりとまちなかアートプロジェクト2007
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アサヒアートフェスティバル2007
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