街中の電柱や壁、トンネルに貼り巡らされた1本のテープは、海抜2mの高さにセットされている。ある場所では、胸の高さにあったものが、別の場所では腰の高さにある。つまり、テープの高さは、地形の起伏によって変化する。
街を歩いているうちに「ここ」と「あそこ」が融合され、さらに遠いものが呼び起こされる。そして見る者は、特殊な全体性を、また巨大な空間を意識するようになる。
テープの高さ(海抜2m)は、地球温暖化の影響を受けて上昇した100年後の 海水の位置を示している。つまり、100年後には、今われわれが立っているこの街が、すっぽりと海の中に沈んでしまうのだ。地球温暖化の問題がメディアで取り上げられて久しいが、果たしてどれだけのひとが自分のこととしてこの問題を受け止めているだろう。
膨大な情報が溢れる中、こうした情報をわれわれの感覚器感で受容できる範囲に圧縮し、また現実の世界を直接手に取って触れることのできるものとして提示することが、芸術行為にも求められているのではないだろうか。
社会の問題を何らかの方法で、具体的に体感するための装置として、このプロジェクトは行われた。温暖化等の地球環境問題に地域から取り組むことを、10年以上も前から宣言し、「川崎市の地球温暖化防止への挑戦」と謳った地球環境保全のための行動計画を明らかにしている川崎市の中でも、もっとも海抜の低い川崎区において、このプロジェクトが実行された意味は大きい。
「ここ」にあるものを通して、「ここ」の外にあるものをなぞり、自らに引き入れようとする。"Horizontal Series 2005"は、「ここ」から「ここではない場所」へつながる関係性を想起させるための装置と言ってよいだろう。
このプロジェクトに使用された反射テープは、道路標識など日常的に目にする安全を目的としたものではあるが、これが人類へのそして地球全体への危険信号として新たな文脈に置かれ意味を持つことは、ひとつのアイロニーであり、また夜間、温暖化の原因のひとつでもある排気ガスをふりまきなが走る車のヘッドライトによって、美しく表情を変化させることも、同様に皮肉に満ちている。
ひとつのマイナーな感性が他者を共振させ、他者の集合体である社会が少しだけ変化する、その繰り返しによって、極々私的な芸術行為でさえも社会化し、個人を離れ普遍化することを強く望む。
山本 耕一郎 2005